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勤続30周年 九州旅行 顛末記 第2話

 

九州旅行顛末記(第1話2話、3話、4話) 

第2話 4日目

まずは、旧湯前線、現「くまがわ鉄道」に乗る。人吉温泉発7:22の列車はJRキハ31の譲渡車とくま鉄KR100形の2連。広々とした人吉盆地をほぼ真東に直進する。風景は、最初の球磨川河岸の茂み〜球磨川を鉄橋で渡る箇所以外はのどかな田園風景だが、駅にはそれぞれ特徴があり、思わず車内から各駅の写真を撮った。3セク鉄道また楽し、である。終点湯前に着くと駅がイベント広場に直結していて、何かイベントの準備中。空には美しい虹も出て、30年ぶりの乗車を祝福してくれた。

折り返し列車で人吉に戻る。この駅の跨線橋は、JR武豊線半田駅跨線橋に代表される、明治末期の鉄道院の様式のものを拡幅したもののようで格調があり、SLによくマッチしそう。模型製作の参考にと各部を撮影した。10:09発キハ185系特急「くまがわ」で渡(わたり)に向かい、有名な第二球磨川橋梁で11:51頃通過の下りSL人吉を待つ。

 

やや日差しが弱くなったが何とか撮れた。 煙は今ひとつだが、夏はこんなもの。それより電話線が手前にあって残念。この時現地で撮影していたのは、他に自転車で来ていた地元のおじさん(線路越しに沢山声をかけてくれたが、方言が強くてよくわからなかった)と、熊本から車で来ていた中年夫婦で、SLが走るようになってからよく来るのだ、という。  

後続の普通列車キハ31単行(ほぼ満員)で人吉に戻ると、駅にSL人吉がまだ停車中。程なく旧機関区の方に引き上げていった。駅前の食堂が休憩所として解放してあり、隣の駅弁売り場で「鮎寿司」¥1,000を購入して休憩所で一服。これが何と鮎が尾頭付きの開きでまるごと1匹入っていた。もちろん頭から尾まで完食。午後のSL人吉まで時間があったので、機関区に行ってみる。石積みのクラの中で58654が休んでいる。機関区は開放されていて、建屋が鉄道関係の部品等の展示室になっている。やがて58654が転向のためクラから出て展示室の前のターンテーブルで転向する。

瞬時のチャンスに形式写真を撮る。しかし標識が・・・orz でもこうして見るとバランスのとれた実に良いカマと改めて感ずる。名機な訳だ。早く模型(キット1、完成中古1)を作らなきゃ。この頃になると、機関区も人が集まってきて、ターンテーブルの転向を見学していた。ゾロゾロと人並みに乗って駅に戻る。  

SL人吉の予約は、インターネットを通じて、JR九州の会員に登録してから行い、人吉駅で指定券の受取りをした。駅で見ると上りも満席となっており、ネット予約が正解だった。 SL人吉は客車を推進し1番ホームに進入した。ホームの反対から86と専用50系客車の形式写真を撮影し、急いで指定号車に乗る。同じボックスには、カップルと若い男性鉄道ファンが占めた。最初は座っていたがどうにも窮屈なので、先頭の展望席に行っている方が多かった。「一勝地」では駅の物販で焼酎「一勝地」を¥500で買い、車内で半分空ける。また車内で買った「焼酎アイス」¥350も美味しかった。やがて坂元を過ぎ、最近取り壊し決定報道で有名になった荒瀬ダムを見て、八代に着く。なんと八代から乗る客もいる。 鹿児島本線内は、ビコム制作のビデオ「SL人吉」前面展望で、かつての急行列車牽引時もかくありなん、という高速で走っていたので、SL人吉の快速ぶりに期待したのだが、遅い遅い。

SL人吉にあわせて沿道を併走する車。なんと家族全員、運転手のお父さんまでもがクマモンの人形を振っているのにはSL人吉の乗客一同びっくり。しかも1台ではなかったのである。 熊本に着き、列車の引き上げまで見送った。市電で繁華街「辛島町」へ行き、早々とホテルに入る。陽はまだ高かったが、精力を使い果たしたので市電乗り潰しや夜間撮影には出かけなかった。

第5日

上熊本に向かうべく「辛島町」電停へ。ちょうど日車製8200形が目の前で停まった。

前扉が開くと、足下がおぼつかない高齢男性が降りようとしている。しかし出口が狭く、高さがあり、中間の踏み段も小さい(写真)と来て、非常に危なっかしい。手をさしのべるべく身構えたが無事に降りることができたのでホッとした。

 

さて、「洗馬橋」で短い専用軌道を抜けて「上熊本」に着く。乗客で賑わっているので熊本電鉄盛況か、と喜んだがJRの駅だった。熊本電鉄は道路沿いの1線片ホームのごくごく小さい駅だった。

 ホームには人気がなく、やがて旧南海22001形だった2連が入ってきた。背後の虹は、湯前と違って人工の虹。北熊本で藤崎宮行きの電車に乗り換える。北熊本は、藤崎宮、御代志、上熊本3方面の電車が常に接続し、便利にできている。  

黒髪町(くろかみまち)で下車し、線路にできるだけ沿った路地を歩いてゆくと、珍百景、軒先をかすめる併用軌道区間に出た。 ここは78年にも撮影に訪れているが、当時は舗装も悪く、線路沿いの酒屋も古い木造。清酒「美少年」の看板が、良い点景になっていた。34年も経つと舗装が綺麗になり、酒屋も建て替えられ、沿道の家屋も新しくなっているようだ。走る電車も、吊り掛けの小型電車(元南武鉄道の買収国電もいた)から旧都営三田線6000系のステンレス車2連に変わっている。しかし電車が大型化、近代化されただけに余計にこの場所は珍百景に映る。数本撮影。

  

 

近くの高校の女子高生が通るのだが、絡めて撮ることは難しく、こんな写真しか撮れなかった。

女子高生と電車の間に見えるのが酒屋である、綺麗に建て替えられ、昔の風情がなくなってしまった。

 

 黒髪町に戻るのは無駄なので、藤崎宮まで歩く。この駅は一見立派な駅ビルに見えたが、実はパチスロ屋で、駅はパチスロ屋の脇を奥に行くとあった。ホームは2線あったのが撤去され1線しか無い。 先ほどの併用軌道をなぞって、上熊本に戻る。

車庫には撮りたかった東急“青蛙”と、モハ71、ボギー無蓋車「ム」等がいる。駅内の踏切の車庫側には工事用A柵が立っていて「立入禁止」とある。これは困った。仕方なく「ム」だけ構外から撮ったが、やはりあきらめきれぬ。

そこで駅の窓口で若い駅員に「車庫の電車の写真を撮りたい」と言ったら、「工場内の作業に支障しないこと」「入れ替えに注意すること」二点指示の上、入場許可が出た。さっそく入場させていただき、屋外の青蛙5102,モハ71,工場内で整備中の5101を、真夏のTOPライトながら撮影した、すると、庫内から若い技術員が出てきて、モハ71の車内を見せてくれるという。わざわざ鍵を持ってきて中に入れてもらった。

昭和3年日車の銘板も健在。

古いが美しい車内を鑑賞できた。青蛙は、自重増に耐えうる車体強度が無いため冷房化できず、夏は土日以外は走らないのだという。ならば無理しても昨日来て撮るべきだった。技術員が上司と電車の部品交換で打ち合わせを始めたが、聞いていると電車の配置を入れ替えるようだ。「午後、陽が西に廻ると良い条件で撮れるなあ」と思いつつ、ともかく厚くお礼を言って、駅に戻り御代志まで往復乗車する。78年乗車時は、菊池まで行っていた。何とも中途半端な所で切ったものだ。

御代志駅はホームの前がアスファルトで埋められて、バス停兼用になっていて、高速バスなどにも乗り換えられるようになっている。駅というよりも電停の方が合っている。 上り電車には、自転車も乗客と一緒に乗っていた。

上熊本に戻り、市電に乗り込む。
すると車内は若い女性でいっぱいで、皆一様に可愛いので驚いていると、今度は途中の電停で乗ってくる若い男性の一団も顔の整った美男子揃い。。

そうか、熊本は美男美女の町なのだ。清酒「美少年」もあったわけだ。あとで福岡の人に聞いたら、熊本はやはりそういう土地なのだそうだ。

それはともかく、電車を埋めた満員の美男美女は繁華街「通町筋」で降り、美少年ではない自分は一気に終点「健軍」までゆく。

 近所のうどん屋で「馬肉うどん」を食べたら撮影の元気が出て、人を絡めた鉄道写真は苦手であるが、こんな写真(右)にもチャレンジしてみた。

 

 

電停2−3駅分通りを歩くが、絵になる場所が無い。動物公園前から電車に乗って、繁華街の手前「水道町」で降りる。

なんと向こうの橋のたもとに模型屋さんがあるでない。ここでスルーして、掘り出し物を逃しては沽券にかかわるので中に入ってみた。

Nゲージ主体であったが、HOでは珊瑚9750完成、カツミC56なんかもあって価格は高かった。女性店主に、棚の上を見ながら、「古い在庫はもうこれ以上無いか」と聞いたら、「古い珍しいものはすぐに売れて」という。そりゃそうだ。
「模型センター 日教社」という店だった。 /p>

掘掘り出し物で散財しないで済んだことにややほっとして、「通町筋」にかけて熊本城などバックに撮影をする。

次いで、朝乗って雰囲気を気に入った「洗馬橋」の短い専用軌道に行ってみる。風情のある場所だが時間が押してきて枚数が撮れなかったのが残念。隣の「新町」から上熊本行きの電車に乗ろうとするが、一天にわかにかき曇り、電車に乗ると同時に、バケツをひっくり返した雨になった。電停に居合わせた女性の話によれば昨日もひどい夕立だったという。

上熊本では降車客も途方に暮れて滝の中のようになった景色を見ている。北熊本再訪をあきらめるか迷ったが、自分の晴れ男を信じて熊本電鉄駅に。駅の放送で、落雷による信号設備の故障で運転見合わせ、という。しかしまもなく、旧南海201A+202Aがやってきて動くようだ。

北熊本に着くと、もう雨は止んで陽も差し掛かっている。晴れ男強し。駅では信号故障の対応で倉庫から機器を運び出し、車庫では保線のライトバンがハシゴを載せて発車待機など大騒ぎである。そんな中、再び駅で車庫入場を許可してくれた。

上の写真が夕方の青蛙5102。昼は隣線にいた電車がいなくなって、反対側も撮れた。実は1歳から8歳まで横浜(相鉄沿線)で育ち、田園調布の親戚の家に行くのに、たまに東横線に乗ったので、子供のときに馴染みの電車だったのである。だから長電、岳南に移った仲間もわざわざ求めて撮りにいっている。また、モハ71も障害物が減り、形式写真的に撮ることができた。模型化しても非常に好ましい電車だ。

ボギー無蓋車「ム」も撮り直した。大正末期の貨車で、コイルばねアーチバーボギー台車を履いている。トラス棒も付いている。大正12年に有蓋緩急車ヤ1〜10が日車で、無蓋車ム1〜10が藤永田造船所で製造され、残念ながら日車製のヤは残っていない。1067mm軌間ながら車体は軽便サイズで、国鉄での該当形式はない。

無事撮りなおし出来て喜んで、上熊本行き電車に乗ってから、さっそく今撮ったモハ71の写真を確認すると、「あれぇ〜、レンズの水滴で電車にシミがかかっている!」 どうやら気付かない内に架線から落ちた雨水がレンズに掛かっていたらしい。モハ71形式写真、前面写真が台無し。このまま離れるのは悔しいので上熊本から再び北熊本に折り返した。再び車庫に入れてもらって、上の写真を撮り直した。

でも、形式写真としては、柵(備品には無闇に触らないことにしているのでどかさなかった)や支柱が被っていて30点だね。またいつか撮り直しに来よう。ちなみに78年訪問時はツートンカラーだったが、その時もホーム撮り逆光という悪条件だった。

 ところで、故障した北熊本の信号機は全部赤になったままで、手旗信号で列車を誘導している。最初はホーム上から(写真)だったが、後のほうではホームの手前の地面から、大きく旗を振っていた。若い駅員は不慣れで、先輩が指導していた。そういえば、職員に若い人が目立ったのは、非常に希望を持てた。いつまでも彼らの雇用が守られるように祈るばかり。なので、北熊本〜上熊本間の余分な往復も、ささやかな支援になったかもしれない。

 

熊本で時間を使ったので、当初予定の在来線ではなく、新幹線で久留米へ急いだ。今回の目的地のひとつ久留米の模型屋さんに行くためだ。800系で久留米に着くと、反対ホームにポケモンラッピングの800系がいる。 

JR久留米からバスに飛び乗り(久留米市内、バスが便利である)西鉄久留米駅に着くや、駆け足で駅近所の「Maxモデル」の閉店3分前に無事着いた。この模型屋さん、九州にありながら、名古屋では入手困難な部品なども在庫してたりして、貴重な部品を買い込んだ。中古機関車模型もあったが値段が合わなかったのでパスした。その晩はそのまま久留米に泊まる。 書き忘れたが、熊本の市電も160円と安く、電車は混んでいた。低床電車も活躍し、鹿児島同様21世紀の街の良いモデルに見えた。

つづき 第3話 6日目はこちらへ



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