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中東ヨルダン・遥か異国で見つけた日本車両製蒸気機関車の旅

 GWを利用してヨルダン旅行を楽しんできました。首都アンマンでは無数のタクシーと鳴り止まないクラクションが出迎えてくれます。その後向かった死海では、観光客向けに開発が進められており、リゾート気分を満喫させてくれます。ヨルダンには多数の世界遺産があり、その中でも有名なワディラムでは日本では見られない大自然の中ジープツアーを楽しみました。夜には観光客と砂漠でたき火を囲み、シャーイ(大量の砂糖を投入した紅茶)を飲みながら各国の歌を披露し合いました。日本代表の私は「ふるさと」を熱唱し、喝采を浴びました。旅の最後にはペトラという遺跡の街へ行き、インディ・ジョーンズの舞台にもなった世界遺産を堪能しました。

 大満足な旅行ではありましたが、ひとつ心残りだった事が、ヨルダンにある日本車両製の蒸気機関車を見られなかった事です。そんな折、ヨルダンの知人を通してヨルダンで活躍中の国際ボランティアである内田氏と知り合いました。偶然にも、内田氏はヨルダンで日本車両製の蒸気機関車を目にし、ビッグイベントを開催するとの話を伺ったため、本稿を執筆頂きました。以下内田氏による蒸気機関車の旅をお楽しみ下さい。

 

   中東(?)、ヨルダン(?)、日本製機蒸気関車(?)、このテーマを見た皆様の頭上には大きなクエスチョンマークが浮かんでいるのではないでしょうか。遥か彼方の異国、ヨルダンで走る日本製(日本車両製)蒸気機関車の旅について、紹介します。

 

【ヨルダンと鉄道】

中東やヨルダンと言えば、何を思い浮かべますか。砂漠、ラクダ、最近は残念ながらテロや戦争のイメージもあるでしょう。混迷の中東においてヨルダンは安定した政治のもと、経済発展に勤しんでいます。そんなヨルダンには300名ほどの邦人が在住しており、その中にはヨルダン発展に身を捧げる多くの援助関係者がいます。本企画の幹事も援助関係者です。

ヨルダンにも鉄道があります。歴史好きには「ヒジャーズ鉄道」という言葉で十分かもしれません。これは、イスラム教徒にとって人生の義務であるメッカ巡礼のための鉄道として、ダマスカス(シリア)―メディナ(サウジアラビア)間に建設された鉄道です。当時中東の支配者であったオスマン帝国が建設し、1908年にメディナまで開通しました。1914年に始まる第一次大戦で多くが破壊されたものの、ヨルダン国内では今も貨物輸送や観光に活用されています。

 

【日本製機関車と今回の企画について】

そんなヨルダンの鉄道では、今も貸し切りのみ非定期ですが日本製の蒸気機関車が走っています。ある日、ヨルダンのとある場所で、静態保存の蒸気機関車が眼に入りました。よくよく見ると、そこには「日本車輌」の文字が!

  

遠い異国で日本製機関車が歴史を刻んでいたことに、胸が熱くなりました。その後、調べてみると、1953年に製造され、1958-59年にかけてヨルダンに5輌の日本製機関車が輸入さたことがわかりました。さらに、この蒸気機関車のことを、鉄道好きの同僚と話をすると、なんと現在も活躍中の同型機関車があるではないですか!ここに、ヨルダンで活躍する歴史好き、鉄道好きの日本人の心がひとつになり、日本製蒸気機関車を貸し切り、ヨルダン悠久の歴史と日本製機関車の勇姿を目にする旅が企画されました。「日本製」の文字に多くの在留邦人が惹かれ、なんと当日は100名以上の在留邦人が集合しました。  

 

【いよいよ乗車】

当日はヨルダンの首都アンマンから北部の都市マフラックまでの往復の旅です。バスなら1時間の距離。我々を乗せた蒸気機関車は、3時間かけて走ります。アンマン駅の駅舎は1908年建設当時のまま。歴史に胸を馳せながら、出発です。ヒジャーズ鉄道には日本製のほか、1940年代製のベルギーやイギリス製の機関車も活躍中。ヨルダンではMade-in-Japanの評判が大変良いですが、機関士達も、「今日は日本製だから何も心配要らないさ」と楽観的でした。実際に走り出すと、車内から歓声が上がります。60年以上前に作られた日本製機関車が今も動くこと、歴史的に重要なヒジャーズ鉄道に乗車できたこと、100名を超える多くの同胞が集まったこと、参加者の胸にはひとしきりの感慨が去来しました。アンマンは丘の町ですが、丘を下って一時間ほどするとヨルダン第二の都市、ザルカ市に到着です。ザルカ市内は鉄路がスーク(市場)の中に伸びており、沿線の露天商が手を振ったり、商品を投げてきたり、乗車中の我々の興奮も最高潮です。駅では給水のため30分ほど停車、かつての日本では各駅に給水施設がありましたが、ヨルダンにはそのようなものはなく、給水車がタンクローリーで駆けつけています。

 

 

【砂漠を駆ける】

 さて、第二の都市ザルカを抜けると、列車は一路、砂漠の中を進みます。中東のイメージにぴったりの砂漠に、ひた走る蒸気機関車。ところどころ緑もあり、青い空とのコントラストに心打たれます。列車はその後15分遅れで、目的地マフラック市に到着です。マフラック市では1時間ほど休憩時間をとり、列車は復路、アンマンへ戻ります。マフラック駅には機関車の転回設備がなく、復路はバックでの運転となりました。さて、マフラック市を離れた汽車は一路アンマンに戻ります。そこで問題が!アンマンは丘の街で、復路はアップヒルの連続です。なんと機関車が登れない!機関士達が何度もトライしますが、登れません。滑り止めに砂をまき、機関車に水を補給し、沿線の人たちの声援も飛び交い、なんとか丘を登りきったときには、既に日暮れ前で、2時間遅れでアンマンに到着です。しかし、そのような遅れも旅の醍醐味。遠い異国で多くの日本人が集まり、日本製の機関車を動かしたことに感激もひとしおです。   

【旅を終えて】

 今回の企画は、偶然にもヨルダンに鉄道好き、歴史好きの者が集まり実現しました。遠い異国ヨルダンで日本製蒸気機関車に乗れると誰が予想したでしょうか。齢60年以上の機関車を日夜保守しているヨルダンの鉄道関係者に感謝を示すとともに、なにより、この機関車を日本で造った先人たちの心意気に感動せずにはおれません。

 

本企画の幹事:ヨルダン在住 ボランティア  柴田 修、 内田 祐輔



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