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九州旅行 顛末記     (記:銀河)

 

※日本車輌製造株式会社では、勤続30年の社員のための福利厚生として「フレッシュアップ30旅行」があります。

 ひたすら楽しみにしていた勤続30年のフレッシュアップ30旅行。
 台湾には博物館以外にも各地に日車製SLが残っているのを知って、当初「日車製蒸気機関車 台湾探訪の旅」を計画していた。もちろん国鉄タイプの貨車なども是非見たいと思っていた。しかし不慣れな外国、限られた日数で廻りきる自信もなく、それは定年後の楽しみにして、九州の旅に落ち着いた。日程は仕事への影響が最小の8月2〜8日の6泊7日とした。カミさんはと言えば、仕事を休むことができないので、単身での旅、これ必然的に「鉄100%」になった。しかし高額なお土産を頼まれたのは言うまでもない。 第一目的は、もちろん九州新幹線全線乗車。

九州旅行顛末記(第1話2話、3話、4話) 

第1話 1日目

 新大阪発「さくら551号」に乗って一気に鹿児島を目指した。JR九州のR8編成。車内はビジネスマンの他、家族連れも多かった。山陽区間は景色も慣れたものだが、車内メロディーが違う。この観察のためICレコーダーで各駅アナウンスまで含め録音を行った。日本語ナレーションはおなじみ、脇坂京子さんだった。中国語、韓国語がいつ加わるか、注意していたが博多発車後であった。

博多総合車両所手前からは、初乗り区間で、左下に博総が一望でき、車内の子供達は大興奮。私は、反対の、九州内での海側席を取ったため、残念ながら見逃した。トンネルの多いのはわかっていたが、トンネルを出ても、所々防音壁が高いのに閉口した。景色が見えんではないか。が、時々低いところもあり、雲仙や有明海が遠望できた。予報では台風の影響で曇り時々雨だったが、鹿児島県内も晴れている。ここで”晴れ男1勝” と自己認定した。右の写真は、(確か)久留米を出て雲仙岳を望む。  

 

昼過ぎに鹿児島に着き、歩道に溜まった火山灰に「鹿児島らしい」と思いつつ、向かったのはJR九州鹿児島車両センター。
C5185号機が保存されているのでその見学。事務所で来意を告げると、係員が付いてくれ、10分程度撮影をさせていただいた。現車はご覧のように切開され、ひどい状態だが、289両中、4両しか残っていないのでそれだけでありがたい。
今、C51のHO模型を4両同時製作していて自ずとC51の形態研究をする結果になり、初期型(〜C51101)原型はキャブ下にステップの枠があるが、これが残っているのが貴重。

下の76mmアングルの端にステップが付いていた。ちなみに土崎工場のC5144でも残っているが、鉄博のC515では撤去されている。そのほか細部写真を撮りまくり、一部寸法測定も行った。(C51の研究成果は改めて発表)

それから、市電に乗って鹿児島駅へ行く。ヤ550形(旧除草剤散布車で日本各地に配置)改造の火山灰降灰対策車ヤ562号を訪ねたが、側線にはいなかった。(2006年には実見できた) 構内にはお役ご免となった真っ赤な485系が寂しく廃車留置されていた。ヤはあきらめ、後は鹿児島市電撮影とした。

最初は鹿児島駅前から撮りつつ数駅歩いたが、昔に比べマンションが建ち並び、通りが日陰になってしまい、雲も多くいまいち。そこで郡元(こおりもと)へ移動し、空が開けた所で撮ったが、また曇ってしまった。

仕方なく終点まで乗ろうと、来た2000形低床車に乗ったら、ビックリ! 通勤時間のせいもあるが超満員。そりゃあ運賃150円、電車もどんどん来て渋滞もなく、「そりゃあ乗るだろう」という感じ。軌道敷も芝生が多く車が入ってこないし。

途中から専用軌道になり、終点の谷山は「日本最南端の電停」のステンレス看板が建っていた。駅も立派な上屋。

1978年にも来ていたはずだが、こんなんだったかしら?

 

 

 

泊まったホテルが百貨店山形屋の前の電車通に面していたので夜間撮影を試みた。

腕ではなくNikonのおかげ。ライトに浮かぶ芝生が美しい。なお芝刈り電車は、交通局前の車庫内に留置してあるのが電車の窓から見えた。芝刈り風景を見たいものである。札幌のササラ電車と好一対? 晩飯は、さつま揚げで焼酎でもと思ったが、周囲に大きな飲み屋しかなく、一人では入りにくいのであきらめた。

第2日 

ホテルの前がバスセンターだったのは好都合だった。7:50発の加世田行き準急バスで加世田に向かう。ここから「赤生木(あこうぎ)」へ往復し、天然記念物「へご自生北限地」を見物した。(皆さん興味はないと思うので委細省略)バスで加世田に戻り昼となった。加世田バスターミナルは、廃線の鹿児島交通加世田駅跡。
真夏のトップライトなので光線が多少良くなるまで「南薩鉄道記念館」を見学した。

できるだけ詰め込んだ感じで密度は濃く、貴重な展示だった。日車製4号機図面の原図が掲示してあった。
屋外には整備工場で使われた外国製の車輪旋盤、形削盤なども展示してある。

この展示で疑問が一つ。
この当社製造所銘板、機関車用だが、大正期の丸形でも、昭和以降の楕円形でもない。製番の刻印も打っていない。
図面も見た記憶が・・・なので後年の複製のように思えるのだが・・・。
なお、奥にあった車両の展示館はスーパーの拡張で撤去され、独逸ハノーバーの1号機などはなくなっていた。キハはバス車庫内にあるのを確認。

 光線が良くなったので、バスセンターのモニュメント、日車製4号機の撮影にかかる。当社オリジナルデザイン・・・とはいえ多分に独逸の香りがするのだが・・・の28トン機で越後鉄道買収機の国鉄1760形や、薩南中央鉄道1号(後南薩9号)、電気化学工業、熊延鉄道4号機の同型機がある。ややもすればサイドタンクに鈍重な印象もある旧簸上鉄道1260形(現加悦SL広場)等に比べ、タンク裾が切り上げられた関係か、同じ越後鉄道買収機の国鉄1720形と同様、より洗練されたスタイルだと私は思う。

ともかく「国鉄形式**」に弱い私は、「模型を作るかも」と細部写真を撮りまくり、一部寸法も測った。図面がここにある以上、調査できるときにしておくのが最善ということで・・・。状態はご覧の通り赤錆で、あと何年持つか・・・。(鉄道ファン誌の情報に依れば9月にグレーのさび止めに塗装され復旧中とのこと。グレーであれば亜鉛系さび止め塗料と思われ、長持ちするので良かった良かった) 他にDL「DD1201」(日立製)も1両ある。これは模型を作る気がないので形式写真中心に数枚のみ撮る。

 15時過ぎに部活帰りの地元中高生で満員の枕崎行きのバスで枕崎に出た。駅前の灯台のモニュメントなど昔のままだが、駅舎は無く、ホームは東寄りに片面が残っているだけ。さすがに暑いので駅前スーパーでマンゴーかき氷を求める。15時59分発のキハ47ワンマン2連に乗る。いかにも乗り鉄といった中年男性が他にもいた。

指宿枕崎線は、1978年夏以来の乗車。その時は乗り合わせた学生の旅行者と話しがはずんでしまい、車窓観察が十分出来なかったので、今回こそはじっくりと。 開聞岳や、南国の風景を存分に堪能できた。

かつて1978年に頴娃大川走行中にちらっと見た「南方のマングローブ林の様な風景」は思い込みで、”海に近いのに森の中で蛇行し干潟を持つ川”がそのように見えたというのがわかった。しかし後になって、実はマングローブの北限地も薩摩半島にあることがわかって、シマッタ、これも見ておくのだったと後悔も後の祭り。
漁港の街「山川」からは錦江湾と遠くから桜島を眺めつつ北上。指宿からは乗客も多く、鹿児島手前で満員になったのは何より嬉しかった。

枕崎駅。線路が短縮されていた。

車窓から見る開聞岳。東へ廻った直後

 鹿児島からは数分の乗り継ぎで、特急「きりしま」787系に乗車。
夕暮れの霧島路を北上、宮崎に泊まる。宮崎に着いたら、台風の影響で雨になっていた。

第3日

宿泊のホテルは駅の東口だが、昔は宮崎機関区があったところ。広大な駅前に変わっている。
ここでDF50の牽く20系ブルトレ彗星や、C61貨物列車の発車シーンを撮ったのも昔、浦島太郎状態。
今では建造物の偉容に圧倒されるが、SLや貨物の盛んだった頃の方が、いかにも栄えている感じがしたのだが・・・。
駅も高架の島式2面。変わっているのは改札で、ホームの階段ごとに改札のラッチがあり、写真を撮るためホーム間を渡り歩くことができなそうである。ただ駅の構造はシンプルになり、おもしろい試みだと思う。

 

787系特急「ひゅうが」で宮崎空港に。「霧島」だ「日向」だと、まるで旧帝国海軍の戦艦みたい。そういえば787系は軍艦みたいな風貌? いずれにせよ特急券なしで乗れるのは嬉しい。日南線から左にカーブし、高架になったと思ったら宮崎空港駅。ホームからすぐ飛行機が見える。もしや電車と飛行機の距離が最も近い駅だろうか? 空港は夏休みでけっこう賑わっていた。すぐの折り返し普通787系で南宮崎へ戻る。

 これから都城方面は1時間近く待ち時間がある。”幸い”にも「海幸山幸」キハ125-400台が駅側線に留置、引き上げて留置線側にいったん出た後、宮崎へ回送して行き、列車として戻ってきたので形式写真がきっちり撮影できた。
それにしても、外板に生木を張るなど大胆なことこの上ない。余談だが、昔の木造車は三等でも漆塗りだった。なので葡萄色よりも、むしろ黒だったそうである。交博(さいたま市)のデハ43200形塗装模型がまさにそれを表現している。 南宮崎は、ホーム間が3線あるのでホーム撮り形式写真に向いている。他にキハ47、貴重な713系も撮れた。

10:47発のまた787戦艦「きりしま」で都城へ。途中の青井岳はC57、DF50撮影の思い出で懐かしかった。都城駅前はホテルもあるが、何か寂しい感じ。駅横のうどん屋に入ってゴボ天うどんとお握りを頼んだら、その場でゴボウ刻みから始まり、揚げたての天ぷら入りを出してくれ、お握りも塩がきいて大層うまかった。 12:50発の吉都線キハ47ワンマン単行で1972年以来、実に40年ぶりの乗車を果たす。なにせ前回は都城区のD51589牽引の客車列車だった。中学生の時で景色も細かく覚えていないので改めて車窓観察。霧島の開けた裾野を上ってゆく。かって宿泊した京町は「京町温泉」と駅名は変わっていたが、駅本屋が昔のままだったのは嬉しかった。

吉松に到着。矢岳越のD51や吉都線のC55、山野線のC56がたむろした機関区は草地であったが構内が広く残っていたのは偲ぶのに十分であった。駅前に保存のC5552を見る。これも鹿児島機関区で最初で最後の現役C55として接して以来40年ぶりの対面。保存状態はきわめて良く、汽笛が鳴るように配管がしてあった。C55も吉都、じゃないキットを持っているので模型用細部写真を撮影した。油ポンプ配管、キャブ床構造は大いに参考になった。

15:16発の観光列車「しんぺい」に乗る。キハ47,140系の3連。自由席に乗る。水戸岡デザインで木の暖かみのある内装。観光列車なので美人アテンダントが乗り、観光ガイドも。真幸、矢岳、大畑、それぞれで停車時間を取り、駅の見学や地元物産の購入ができる。写真は真木駅に停車中。左は幸せの鐘。出世ができるという。今更手遅れなので、鐘を鳴らすことはしなかった。  

「日本三大車窓風景」の一つだけに、展望の最も良いところで停車。完全に晴れていれば霧島連峰が見えるはず。下は吉松盆地。D51奮闘時代は来られなかった。しかし、勾配の途中での再発進になるから蒸気機関車だったら停車は自殺行為だろう。学生の時はDD51+客車+長い編成の貨車の混合列車で、これはこれで感動ものだった。 矢岳駅前保存のD51170は日車製。この機関車、父が九州出張の時、わざわざ吉松に寄って現役の姿を撮って来てくれた。戦前の日車楕円銘板を付けていたが、今は見当たらないのが残念だった。大畑では駅に名刺を貼ってきた。この駅だけ、実は06年に車で一度訪問している。 35年ぶりの大畑越えを堪能して、吉松に泊まった。地元郷土料理屋で、馬刺しは高いので、鮎定食を食った。カウンター隣の商用客は、「明日快速みえで帰る」などと携帯で奥さんに話していた。


つづき 第2話 4日目>

  北陸新幹線グランクラス乗車記 武豊線悲願の電化開業  ヨルダンで発見!日車製SLの旅  N700A一番列車乗車記    

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