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ブルートレイン
あさかぜ編成 ナハフ20他 熱田 昭和33年8月
20系固定編成客車「あさかぜ」は当時の生活水準を大きく上回る豪華設備で「走るホテル」「動くホテル」と大人気となった。
はやぶさ用回送編成 カニ22他 熱田 昭和35年
「はやぶさ」を掲出しているが「はやぶさ」登場時は当初「あさかぜ」のマニ20を「はやぶさ」に転用した。
はやぶさ編成 熱田 昭和35年
「はやぶさ」は昭和35年6月に在来客車から20系化された。写真は最後尾のナハフ20他。
みずほ編成 ナハフ20他 熱田 昭和38年
「みずほ」20系化で投入された車両。最後尾のナハフはこの「みずほ」編成までで、九州特急は昭和40年でナロを除き寝台車化された。
さくら用客車発送 熱田 昭和39年6月
最後尾はナハフだが、メーカー発送時のため、次位はナハフ21となっている。
上り あさかぜ 博多 昭和40年1月
東京を目指し発車する「あさかぜ」カニ22形が1号車であることに注目。 昭和39年から40年10月改正までカニ22形が用いられていた。
下り 特急「みずほ」回送 博多 昭和40年1月
特急「みずほ」の博多落とし編成 ED73次位のナロネ21は8号車で東京-博多止まりである。駅ビル(博多口)が左手で、手前順光から午前の撮影と分かり、1〜7号車がC59牽引で去ったあと、竹下区へ博多落ち編成を回送するシーンであると推定する。九州内のブルートレイン門司-博多間は当初ED72,ED73が使用された。写真はED733であるが、昭和43年に列車の高速化対応のため1000番代に全車改造された。
下り 特急「みずほ」博多 昭和40年
熊本をめざし発車する「みずほ」電源車はカニ22。
下り はやぶさ用C61 博多 昭和40年
博多でED73から牽引を引き継ぐC61。このC61は三菱製。同形式唯一の”切取デフ”(鹿児島工場施工)を持つ有名機。
「富士」号用EF60 500番代 下関 昭和40年
東京-下関は東京から直流機がロングランしていた。当初はEF58だが、昭和40年当時はEF60 500番代。
下り 特急「みずほ」鹿児島本線 昭和40年
博多で8〜14号車を切り離し、電源車+7両で熊本をめざす。熊本まではC59が入線できた。
下り 特急「はやぶさ」鹿児島本線 昭和40年
西鹿児島行特急「はやぶさ」やはり博多で8〜14号車を切り離している。熊本以南は特甲線用のC59が入れないため軽量のC61で通し運転した。ちなみに、C6131は日車製。
下り 特急「さくら」博多 昭和40年
長崎行き特急「さくら」は鳥栖から長崎本線に入る。C59を2軸従台車に改造したC60 が牽引する。他にもC61、C57も利用された。
特急「さくら」回送
博多南方 特急「さくら」なのに10系客車と20系混結の珍編成。これは、一見事故代車のように見える。これはおそらく「さくら」博多落ちを併結して竹下区へ回送するシーンと思われる。
特急「さくら」回送 博多南方 昭和40年1月
前の写真の後尾。なお、昭和36年12月特急「さくら」にDC準急が追突し、ナハフ20等が大破した際、復旧までの間、一般形客車を数量併結して運転されたことがある。20系には事故廃車されたものは無い。
昭和40年改正増備車回送編成 ハネフ22他 田 和40年
昭和40年10月改正で上野-青森間(常磐経由)「ゆうづる」が登場した。写真のナハネフ22は「ゆうづる」を掲出しているがこれは撮影時の演出。実際「ゆうづる」の最後尾は九州特急から転用された座席車ナハフが使用された。
上り特急「あさかぜ」博多駅 和40年1月
博多駅を発車する上り特急「あさかぜ」。牽引機は門司区所属のED73。次位に、ナハフ20形座席車を連結し、次車以降ナハネ20形寝台車と連なっている。
上り特急「富士」鹿児島駅昭和45年1月
当時「富士」は、東京−西鹿児島間を日豊本線経由で走破し、その走行距離・時間は1570km、24時間を超え、旅客列車としては日本最長距離となっていた。(昭和55年10月改正による運行区間短縮前まで)非電化の日豊線での牽引はDF50形が起用された。西鹿児島発車時の東京方先頭は、付属編成を大分で連結するため、ナハネフ23形が連結されている。
急行「銀河」 新橋 和51年8月
20系は昭和年以降、急行列車への転用が始まり、昭和51年2月に東京−大阪を結ぶ名門急行「銀河」も従来の10系寝台客車から20系にグレードアップされた。 ビジネス客中心に好評だったが、昭和60年に14系、昭和61年に24系25形に代わり、平成20年3月改正で惜しまれながら引退した。
特急「あさかぜ」の品川回送列車 有楽町 和51年8月
東京に到着した上りブルートレインは、牽引してきた機関車を大阪方に付け替え、品川に回送された。
特急「あさかぜ」の品川回送列車後部 有楽町 和51年8月
昭和51年当時、東京発のブルトレ特急で20系で残っていたのは、「あさかぜ」2往復(東京−下関・博多)、「瀬戸」(東京−宇野)となっていた。 「あさかぜ」は昭和52・53年に24系25形に置き換えられている。
上り特急「瀬戸」新橋 和51年8月
新橋に進入する、上り20系特急「瀬戸」。東京−宇野間を結ぶ四国連絡の寝台特急で、昭和47年3月改正で急行→特急に格上げされた。昭和46年14系客車登場時、初めて使用されたのは急行時代の「瀬戸」で、これは交通公社時刻表でもPRされていた。「瀬戸」は昭和52年9月に24系25形に置き換えられている。平成10年には285系寝台特急電車に置き換えられ、ブルートレインとしての歴史に終止符を打った。
特急「北陸」金沢運転所 昭和51年11月
”金運”で待機する特急「北陸」用20系(カニ21)「北陸」は昭和50年3月改正で急行から格上げた。上野-金沢間を上越線経路で結んでいた。昭和53年9月に14系となった。平成22年3月改正で廃止された。
特急「あけぼの」秋田 昭和55年8月
牽引機ED75 700番代 特急「あけぼの」について ・昭和45年夏に臨時で上野-秋田に設定されたのが最初。・4510改正では定期化され青森まで延長。・昭和48年2往復となる。・昭和55年10月24系に置換え。
特急「あけぼの」秋田 昭和55年8月
秋田駅に停車中の特急「あけぼの」これが最後の20系特急となった。
急行「天の川」東北本線 西川口 上り急行「天の川」
昭和51年秋から従来の10系客車から20系に置き換えられた。先頭の電源車は急行用にカニ21から改造されたカヤ21となった。昭和60年3月の改正で列車そのものが廃止された。
カートレイン九州大府 平成4年
昭和60年から登場した、東京-九州を結ぶ列車版カーフェリー。ナロネ21形3両とカヤ21形の20系4両+ワキ10000形高速有蓋車で編成された。平成6年に14系B寝台車に変更された。
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