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  • 14系 上り特急「みずほ」保土ヶ谷 昭和51年8月
    「みずほ」は昭和47年3月改正で、「さくら」「あさかぜ2号(下り)、3号(上り)」と共に従来の20系から14系に変更された。400Rカーブを切りつつ、保土ヶ谷駅進入直前のシーン。編成は14両で、東京方6両の付属編成が画面にちょうど収まっている。下関−東京の牽引機は当時EF65 500番台が担っていた。
  • 14系 特急「さくら」湯河原 和54年1月
    東京を目指す14系ブルトレ。牽引機はいずれもEF65PF。昭和50年代に省力化のため、機関車前頭部に掲げていたヘッドマークは廃止されたが、東海道・山陽線系統の直流機については継続されていた。
  • 14系特急「みずほ」 湯河原昭和54年1月
    東京を目指す14系ブルトレ。牽引機はいずれもEF65PF。昭和50年代に省力化のため、機関車前頭部に掲げていたヘッドマークは廃止されたが、東海道・山陽線系統の直流機については継続されていた。
  • 上り14系 特急「みずほ」清洲 昭和54年5月
    夜明けの東海道を東京へ目指す、熊本発特急「みずほ」。「みずほ」は昭和47年3月改正で14系に変更された。堂々の14両編成で、昭和50年から、付属編成を長崎行とし、鳥栖で分割/併合した。1970年代後半は年少の鉄道ファンを中心に、”ブルートレインブーム”が巻き起こっていた。 
  • 上り14系 特急「さくら」清洲 昭和54年5月
    夜明けの東海道を東京へ目指す、長崎・佐世保発特急「さくら」。「さくら」は昭和47年3月改正で14系に変更された。堂々の14両編成。東海地方以東の東海道は、ブルートレイン列車群の行進で朝を迎え、この「さくら」がトリを勤める形となる。
  • 下り14系 特急「さくら」門司 昭和54年8月
    関門海峡を越えて、門司に到着した特急「さくら」。 別の走行写真では、テールサインが未だ文字のみの表示であったが、同じ年の夏の撮影では、絵入りテールマークになっている。これは国鉄が人気回復の施策の一環で、特急電車等の列車表示(ヘッドサイン)にもイラストが入れられた。
  • 14系15形特急「あかつき」肥前大浦昭和56年3月
    有明海を眺めつつ佐世保をめざす「あかつき」筑豊本線経由のため、DD51がそのまま長崎線を通し牽引している。「あかつき」の下り3号、上り2号は8〜13号車が筑豊本線経由であった。昭和53年から昭和60年まで運転された。
  • 14系特急「さくら」 肥前大浦昭和56年
    有明海沿いの長崎本線を下る特急「さくら」牽引機は九州交流電化のパイオニア、ED72。20系の後期に一旦ブルトレから外れた後、14系、24系の登場でブルトレ牽引にカムバックした。しかし、昭和57年に全機廃車となった。
  • 特急「あかつき」スハネフ15 長崎昭和56年3月
    14系15形「あかつき」の長崎方端面
  • 下り 14系15形 特急「明星」八代 昭和60年5月
    八代駅を発車する特急「明星」明星は関西と九州を結ぶ寝台列車で、昭和50年3月改正で、従来の583系電車2往復への増便の形で、24系25形、14系と2種の編成で加わった。最初はブルートレインだけでも4往復あったが、徐々に減便され、昭和59年には14系15形に変更(写真はその後)、昭和61年11月改正で廃止された。
  • 14系特急「みずほ」 諫早平成2年2月
    「みずほ」は昭和50年3月から、熊本行に長崎行編成を併結。写真はその長崎行編成。
  • 14系15形 特急「あかつき」長崎平成2年2月
    特急「あかつき」は昭和40年10月より新大阪-西鹿児島間寝台特急として登場。昭和49年に7往復も運転された。昭和61年に1往復となった。平成20年に廃止された。
  • 14系15形 特急「あかつき」長崎平成2年2月
  • 14系15形特急「あかつき」長崎平成2年2月
    今日も雨だった長崎に到着の特急「あかつき」この時は筑豊本線経由のスジは廃止されていた。
  • 14系 長崎に到着する下り特急「さくら」長崎 平成2年2月
    「さくら」は、昭和47年3月改正から、「みずほ」「あさかぜ2号(下り)、3号(上り)」と共に従来の20系から14系に変更された。1970年代に、ヘッドマークは廃止されたが、人気回復のため昭和59年2月に復活している。牽引機は、ED73形から九州の主力ED76に変わっている。
  • 14系特急「北陸」熊谷−篭原 平成18年4月
    夜明けの高崎線を上野へ向かう特急「北陸」の最後尾。上野から金沢に向かう夜行列車は戦前からの伝統で、戦後に夜行急行列車となった。「北陸」はその発展列車で個室化が推進されるなど人気列車であった。一時期、東金沢に回送し寝台が延長利用できる”チェックアウトサービス”が行われていた。結局、車両の老朽化や高速夜行バスの対抗には勝てず、平成20年3月に廃止された。
  • 14系15形 特急「富士/はやぶさ」田町 平成20年12月
    東京まであとわずか。伝統の東京発ブルートレインも、徐々に列車が削減され 「富士」「はやぶさ」併結列車1往復に圧縮された。ファンからは「富士ぶさ」と呼称されていた。
  • 14系15形 特急「富士/はやぶさ」東京 平成20年12月
    東京駅10番線にすべりこむ特急「富士/はやぶさ」かつての14両編成(電源車含め15両)単独列車の栄光時代を思うと、併結列車らしいヘッドマークは、時代を感じる。この列車も平成21年3月改正で廃止された。隣の東北新幹線E1系MAXもすでに引退。”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり”
  • 特急「富士/はやぶさ」牽引機EF66の機回し作業 東京 平成20年12月
    特急「富士/はやぶさ」10番線到着後、牽引機は切り離され、9番線を 利用して大阪方へ機回しされ、大阪方に連結、品川に回送される。
  • 特急「富士/はやぶさ」「はやぶさ」側東京方前頭部 東京 平成20年12月
    上りは特急「はやぶさ」は東京方6両で、東京方編成端は 折妻・白帯のスハネフ14形であった。原形では3段式寝台であるが2段式に改造されている。
  • 特急「富士/はやぶさ」「富士」側大阪方前頭部 浜松町 平成20年12月
    上りは特急「富士」は大阪方6両で、大阪方編成端は平妻・銀帯・2段寝台のスハネフ15形であった。なお、下り列車では「富士」「はやぶさ」の位置は上記と逆であった。
  • 特急「富士/はやぶさ」連結面の様子平成20年11月
    特急「富士/はやぶさ」の編成のスハネフ同志の連結面。共に列車の後尾になるので、それぞれの列車のテールサインを掲出している。門司で分離する際、ドアを閉めて編成端になる。特急「さくら」も肥前山口で佐世保行と長崎行き編成を分割/併合していたが、その連結面も同様であった。(車内で「さくら」マークが見ることが出来た)
  • 14系15形特急「はやぶさ」原田 平成20年1月
    鹿児島本線内を行く末期の「はやぶさ」。「富士」を門司で分離して軽量編成で熊本に向かう。 編成は、牽引機ED76+スハネフ15+オロネ15・3000番台+オハネ15・2000番台+オハネ15+オハネ15+スハネフ14。15形は本来、ステンレス帯であるが、更新の際に白塗装がされたものがあり、後ろから3両目はその車両のようである。
 

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