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九州旅行 顛末記 ※日本車輌製造株式会社では、勤続30年の社員のための福利厚生として「フレッシュアップ30旅行」があります。(記:銀河)
ひたすら楽しみにしていた勤続30年のフレッシュアップ30旅行。
第1話 1日目 新大阪発「さくら551号」に乗って一気に鹿児島を目指した。JR九州のR8編成。車内はビジネスマンの他、家族連れも多かった。山陽区間は景色も慣れたものだが、車内メロディーが違う。この観察のためICレコーダーで各駅アナウンスまで含め録音を行った。日本語ナレーションはおなじみ、脇坂京子さんだった。中国語、韓国語がいつ加わるか、注意していたが博多発車後であった。
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昼過ぎに鹿児島に着き、歩道に溜まった火山灰に「鹿児島らしい」と思いつつ、向かったのはJR九州鹿児島車両センター。
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それから、市電に乗って鹿児島駅へ行く。ヤ550形(旧除草剤散布車で日本各地に配置)改造の火山灰降灰対策車ヤ562号を訪ねたが、側線にはいなかった。(2006年には実見できた) 構内にはお役ご免となった真っ赤な485系が寂しく廃車留置されていた。ヤはあきらめ、後は鹿児島市電撮影とした。 ![]() 最初は鹿児島駅前から撮りつつ数駅歩いたが、昔に比べマンションが建ち並び、通りが日陰になってしまい、雲も多くいまいち。そこで郡元(こおりもと)へ移動し、空が開けた所で撮ったが、また曇ってしまった。 ![]()
途中から専用軌道になり、終点の谷山は「日本最南端の電停」のステンレス看板が建っていた。駅も立派な上屋。 1978年にも来ていたはずだが、こんなんだったかしら?
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泊まったホテルが百貨店山形屋の前の電車通に面していたので夜間撮影を試みた。
腕ではなくNikonのおかげ。ライトに浮かぶ芝生が美しい。なお芝刈り電車は、交通局前の車庫内に留置してあるのが電車の窓から見えた。芝刈り風景を見たいものである。札幌のササラ電車と好一対? 晩飯は、さつま揚げで焼酎でもと思ったが、周囲に大きな飲み屋しかなく、一人では入りにくいのであきらめた。 |
第2日
ホテルの前がバスセンターだったのは好都合だった。7:50発の加世田行き準急バスで加世田に向かう。ここから「赤生木(あこうぎ)」へ往復し、天然記念物「へご自生北限地」を見物した。(皆さん興味はないと思うので委細省略)バスで加世田に戻り昼となった。加世田バスターミナルは、廃線の鹿児島交通加世田駅跡。
できるだけ詰め込んだ感じで密度は濃く、貴重な展示だった。日車製4号機図面の原図が掲示してあった。
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光線が良くなったので、バスセンターのモニュメント、日車製4号機の撮影にかかる。当社オリジナルデザイン・・・とはいえ多分に独逸の香りがするのだが・・・の28トン機で越後鉄道買収機の国鉄1760形や、薩南中央鉄道1号(後南薩9号)、電気化学工業、熊延鉄道4号機の同型機がある。ややもすればサイドタンクに鈍重な印象もある旧簸上鉄道1260形(現加悦SL広場)等に比べ、タンク裾が切り上げられた関係か、同じ越後鉄道買収機の国鉄1720形と同様、より洗練されたスタイルだと私は思う。
ともかく「国鉄形式**」に弱い私は、「模型を作るかも」と細部写真を撮りまくり、一部寸法も測った。図面がここにある以上、調査できるときにしておくのが最善ということで・・・。状態はご覧の通り赤錆で、あと何年持つか・・・。(鉄道ファン誌の情報に依れば9月にグレーのさび止めに塗装され復旧中とのこと。グレーであれば亜鉛系さび止め塗料と思われ、長持ちするので良かった良かった) 他にDL「DD1201」(日立製)も1両ある。これは模型を作る気がないので形式写真中心に数枚のみ撮る。 15時過ぎに部活帰りの地元中高生で満員の枕崎行きのバスで枕崎に出た。駅前の灯台のモニュメントなど昔のままだが、駅舎は無く、ホームは東寄りに片面が残っているだけ。さすがに暑いので駅前スーパーでマンゴーかき氷を求める。15時59分発のキハ47ワンマン2連に乗る。いかにも乗り鉄といった中年男性が他にもいた。 指宿枕崎線は、1978年夏以来の乗車。その時は乗り合わせた学生の旅行者と話しがはずんでしまい、車窓観察が十分出来なかったので、今回こそはじっくりと。 開聞岳や、南国の風景を存分に堪能できた。 かつて1978年に頴娃大川走行中にちらっと見た「南方のマングローブ林の様な風景」は思い込みで、”海に近いのに森の中で蛇行し干潟を持つ川”がそのように見えたというのがわかった。しかし後になって、実はマングローブの北限地も薩摩半島にあることがわかって、シマッタ、これも見ておくのだったと後悔も後の祭り。
鹿児島からは数分の乗り継ぎで、特急「きりしま」787系に乗車。 |
第3日
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![]() 787系特急「ひゅうが」で宮崎空港に。「霧島」だ「日向」だと、まるで旧帝国海軍の戦艦みたい。そういえば787系は軍艦みたいな風貌? いずれにせよ特急券なしで乗れるのは嬉しい。日南線から左にカーブし、高架になったと思ったら宮崎空港駅。ホームからすぐ飛行機が見える。もしや電車と飛行機の距離が最も近い駅だろうか? 空港は夏休みでけっこう賑わっていた。すぐの折り返し普通787系で南宮崎へ戻る。
これから都城方面は1時間近く待ち時間がある。”幸い”にも「海幸山幸」キハ125-400台が駅側線に留置、引き上げて留置線側にいったん出た後、宮崎へ回送して行き、列車として戻ってきたので形式写真がきっちり撮影できた。 10:47発のまた787戦艦「きりしま」で都城へ。途中の青井岳はC57、DF50撮影の思い出で懐かしかった。都城駅前はホテルもあるが、何か寂しい感じ。駅横のうどん屋に入ってゴボ天うどんとお握りを頼んだら、その場でゴボウ刻みから始まり、揚げたての天ぷら入りを出してくれ、お握りも塩がきいて大層うまかった。 12:50発の吉都線キハ47ワンマン単行で1972年以来、実に40年ぶりの乗車を果たす。なにせ前回は都城区のD51589牽引の客車列車だった。中学生の時で景色も細かく覚えていないので改めて車窓観察。霧島の開けた裾野を上ってゆく。かって宿泊した京町は「京町温泉」と駅名は変わっていたが、駅本屋が昔のままだったのは嬉しかった。 ![]() 吉松に到着。矢岳越のD51や吉都線のC55、山野線のC56がたむろした機関区は草地であったが構内が広く残っていたのは偲ぶのに十分であった。駅前に保存のC5552を見る。これも鹿児島機関区で最初で最後の現役C55として接して以来40年ぶりの対面。保存状態はきわめて良く、汽笛が鳴るように配管がしてあった。C55も吉都、じゃないキットを持っているので模型用細部写真を撮影した。油ポンプ配管、キャブ床構造は大いに参考になった。 15:16発の観光列車「しんぺい」に乗る。キハ47,140系の3連。自由席に乗る。水戸岡デザインで木の暖かみのある内装。観光列車なので美人アテンダントが乗り、観光ガイドも。真幸、矢岳、大畑、それぞれで停車時間を取り、駅の見学や地元物産の購入ができる。写真は真木駅に停車中。左は幸せの鐘。出世ができるという。今更手遅れなので、鐘を鳴らすことはしなかった。 「日本三大車窓風景」の一つだけに、展望の最も良いところで停車。完全に晴れていれば霧島連峰が見えるはず。下は吉松盆地。D51奮闘時代は来られなかった。しかし、勾配の途中での再発進になるから蒸気機関車だったら停車は自殺行為だろう。学生の時はDD51+客車+長い編成の貨車の混合列車で、これはこれで感動ものだった。 矢岳駅前保存のD51170は日車製。この機関車、父が九州出張の時、わざわざ吉松に寄って現役の姿を撮って来てくれた。戦前の日車楕円銘板を付けていたが、今は見当たらないのが残念だった。大畑では駅に名刺を貼ってきた。この駅だけ、実は06年に車で一度訪問している。 35年ぶりの大畑越えを堪能して、吉松に泊まった。地元郷土料理屋で、馬刺しは高いので、鮎定食を食った。カウンター隣の商用客は、「明日快速みえで帰る」などと携帯で奥さんに話していた。 |
つづき 第2話 4日目> |